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【最終回】平田弘史先生担当譜 由利耕一(元漫画編集者)

 そして「お父さん物語」(1990年)ですね。あの時はぼくの頭にはバンド・デシネ風の作品イメージがあって「八頁のカラーで連作」ということで井荻の仕事場に頼みに行きました。しばらく音沙汰がなくて、その間、平田さんは伊豆に引っ越していました。「伊豆の仕事の第一作ができた」という連絡があったのでとんでいきました。800坪もあるという敷地を案内していただいている時、ぼくが迂闊にも「調子はどうですか、伊豆に引っ込んで」と口にしたら、ギロッと睨まれて「引っ込んだのではない。伊豆の空の下に出て参ったのだ!」と叱られました。
 新築の新しい仕事場で「お父さん物語」の原稿と数話分のネームを渡されたのですが、合戦絵巻風のカラー作品を想定していましたから、まさかエッセイ漫画が出て来るとは思わなかったです。ヤンマガ読者向けということもあり、また新しい土地での新しい仕事への肩慣らしという意味もあったのではないかなあと想像しています。
 『ヤングマガジン』の編集会議は賛否あって白熱しました。平田さんの作品、作風、人物を知っていると、あの平田先生がこういう漫画を描いたと楽しめるんですが、そうじゃない編集スタッフも多い。私にとっては依頼に行ってから十数年ぶりに初めていただいた漫画作品という思い入れもあるので引っ込むつもりはない。議論はありましたが幸い連載に持ち込めました。元気な雑誌というのは思わぬ包容力があるもので、異色作、問題作も載ってしまうとけっこう場所を得るものです。「お父さん物語」は単行本になり平田作品の流れの中のユニークな一冊になりました。
 その後は『ミスターマガジン』時代に、「無名の人々」(1991年~)、「怪力の母」(1993年~)をやっていただき、『月刊アフタヌーン』で「新首代引受人」(1997年~)をお願いしました。こうして振り返ると、私はけっこう長い、講談社の平田番だったんですね。
 『月刊アフタヌーン』では、2001年の創刊14周年目玉企画「大合作2」にも参加していただきました。連載作家陣30人くらいが自分の作品のキャラクターを持ち寄って一つのストーリーを作る五十ページの合作です。編集部員がビビッて「この企画、誰が平田先生に依頼に行くんだ、斬られるぞ」とかいってにぎやかに盛り上がっていました。
 その大合作に平田さんの「新首代引受人」が登場し、藤島康介さんの「ああっ女神さまっ」のキャラクター「ばんぺいくんRX」というロボットをカサッと斬っているコマがあります。平田さん特有の茶目っ気もあるのでしょうが、よく引き受けていただいたと今でも感謝しています。当時のアフタヌーンには平田劇画に私淑する若手の作家が多くいて、このシーンは話題になりました。
 もう20年以上前になりますが、矢口高雄先生に同行して秋田県のまんが博物館のオープンイベントに行った時、多くの漫画家が協賛で貸し出した原画展示の中に「薩摩義士伝」ひえもんとりの一枚があり、強烈なエネルギーに立ちすくむ思いをしました。傘寿記念の原画展、弥生美術館であの一枚をもう一度見ることができるのかと心躍らせています。(完)(平成28年7月19日収録)
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